怪談、苦手なんです
怖い話が、わたしはあまり得意ではありません。
『怪談 牡丹燈籠(かいだん ぼたんどうろう)』というタイトルを見たときも、正直すこし身構えました。カランコロン、と下駄の音が近づいてくる——そういうお話だと思っていたのです。
それでも観てみたのは、配役に惹かれたからでした。
そして観終わって思ったのは、「怖いばかりじゃなかった」ということです。
声を出して笑う場面がたくさんありました。そして怖かったのは、幽霊よりも、生きている人のほうでした。
今回は歌舞伎座まで行けなかったので、松竹の「歌舞伎オンデマンド」で観ています。悔しい気持ちはありましたが、配信だからできた観かたもあって、それがなかなか良かったのです。
その話をさせてください。
どんなお話なの?
浪人の萩原新三郎と、旗本の娘・お露。ひと目で惹かれ合った二人ですが、想いが強すぎたお露は、恋の病で亡くなってしまいます。
ある夜、新三郎のもとに現れたのは、牡丹燈籠を提げたお露と、乳母のお米。
それを覗き見てしまったのが、新三郎の下男・伴蔵(ともぞう)です。
怖がる伴蔵と、お金に目のない妻のお峰。この夫婦のやりとりが、物語のもうひとつの軸になっていきます。
三遊亭円朝の落語が原作。今回の舞台は、その円朝が高座に上がって語りかける、という趣向で進みます。
配役
| 役 | 俳優 |
|---|---|
| 伴蔵 | 坂東巳之助丈 |
| お峰 | 尾上右近丈 |
| 萩原新三郎 | 市川染五郎丈 |
| お露 | 尾上辰之助丈 |
| 乳母お米 | 尾上緑丈 |
| お国 | 坂東新悟丈 |
| 宮野辺源次郎 | 中村橋之助丈 |
| 飯島平左衛門 | 河原崎権十郎丈 |
| 三遊亭円朝/馬子久蔵 | 松本幸四郎丈 |
生きているときと、そのあとで
いちばん心に残ったのは、お露を勤めた尾上辰之助丈でした。
生きているときのお露は、初々しくて、かわいらしい。恋をした女の子そのものです。
それが、亡くなってから現れるお露は——人ではないものの美しさなのです。
同じ方が演じているのに、まとっている空気がまるきり違う。怖いのに、目が離せませんでした。
そして乳母のお米を勤めた尾上緑丈。お露に付き添って、燈籠を提げて現れる役どころです。
なんというか、ノリノリなのです。いい意味で!
「支える人」の位置にいながら、その人がいることで場面がぐっと面白くなる。緑丈がいるから、この二人連れが成り立っているのだなあと思いました。
口真似が、びっくりするほどそっくり
これは観るたびに思うのですが。
歌舞伎俳優が、ほかの俳優の声色を真似る場面。本当にそっくりなんですよね。
今回でいうと、伴蔵がお露の口真似をする場面がそうでした。新三郎の家で見てしまったことを、お峰に語って聞かせるところです。
そして、あの「カランコロン」はここで出てきます。
音として鳴るのではありません。伴蔵が自分の口で、下駄の音を言ってみせるのです。
怖くてたまらない男が、身ぶりを交えて怪談を語る。怖いはずの場面なのに、おかしい。この作品の「怖いばかりじゃない」は、こういうところに出ています。
ほかにも「あ、いま真似てる!」という瞬間が何度もありました。
円朝の語りでも、登場人物それぞれの声が使い分けられていきます。落語がもとの作品なので、語りと芝居を行ったり来たりするのですね。
耳でも楽しめる舞台でした。
鳴っていたのは、和太鼓でした
下駄の音が伴蔵の口から出てくるかわりに、実際に響いていたのは和太鼓でした。
要所要所で、腹にくるように鳴ります。
牡丹燈籠が現れる場面。そして終盤の見せ場。ここぞというところで入ってくるのです。
音が鳴った瞬間に、場の空気が変わります。せりふがなくても、いま何かが起きると分かる。
配信でご覧になる方は、音を少し大きめにしてみてください。この作品は、耳で受け取るものがとても多いです。
笑っていたのに、だんだん空気が変わる
伴蔵とお峰のやりとりは、前半がとにかくおかしいのです。
怖がる夫と、しっかり者というか、ちゃっかり者の妻。掛け合いのテンポがよくて、何度も笑ってしまいました。
ところが後半になると、この二人の空気が変わります。
同じ夫婦の、同じような言い合いなのに、笑えない。ひやりとする。
ここが見どころだと、個人的には思いました。
欲深い二人が、もう一組いました
伴蔵とお峰のほかに、もう一組。お国と宮野辺源次郎です。
この二人は夫婦ではなく、恋人同士。そして二人でお露の父・飯島平左衛門と、女中のお竹を手にかけ、金銀を奪って江戸から逃げています。
つまりこの作品には、三組の男女が出てきます。
- 新三郎とお露——想いが強すぎて、命を落とす
- 伴蔵とお峰——幽霊の百両から、転がり落ちていく
- 源次郎とお国——はじめから、奪いにいく
伴蔵とお峰には、ためらう時間がありました。怖がって、迷って、それでも欲に負けてしまう。
源次郎とお国には、それがありません。
同じ「欲深い二人組」なのに、そこへ至る道筋がまるきり違う。だから並べて置かれると、伴蔵夫婦の転落がよけいに生々しく見えてくるのです。
舞台に、本物の雨が降ります
歌舞伎には「本水(ほんみず)」という演出があります。舞台の上で、本物の水を使うのです。
もともとは江戸時代の「夏芝居」で発達した仕掛けで、宙乗りや早替りと並んで、暑い季節に涼しさを感じてもらうために使われてきました。世話物で雨を降らせるのも、そのひとつです。
だから、いつでも観られるものではありません。今回それに出会えたのは、うれしい驚きでした。
画面越しでも「おぉ!」と声が出たくらいです。
作り物ではないものが一つ混じるだけで、舞台の湿り気が変わります。
配信で観てよかった、と思ったこと
劇場で観るのが素晴らしいのは、大前提として。
そのうえで、配信だからできたなと思ったことが三つありました。
・役者の細かい表情が見える
カメラが寄ってくれるので、目の動きや口もとの小さな変化まで見えます。3階席では、こうはいきません。
・古語のところを巻き戻せる
江戸のことばなので、一度で聞き取れないところがあります。「いま何て言った?」と思ったら、少し戻せばいい。
・自分のペースで止められる
お茶をいれに立っても、続きから観られます。
歌舞伎オンデマンドで観るのは、今回が初めてではありません。スーパー歌舞伎『もののけ姫』も、この配信で観ました。そのときの話はこちらです。
スーパー歌舞伎『もののけ姫』を配信で観た|駆け込み視聴でも、じゅうぶん惹き込まれた
いちばん戸惑ったのは、実はここでした
ひとつだけ、「ここってどういうこと?」と止まってしまった場面があります。
円朝の高座が挟まると、そのあいだに年月が流れているのです。
高座が終わって場面が戻ると、登場人物たちの暮らしぶりが変わっている。住む場所も、持っているお金も、関係も。
わたしは一度そこで置いていかれてしまって、巻き戻して観直しました。
そして思ったのです。劇場でイヤホンガイドを使っていたら、ここはすっと入ってきたのかもしれないと。
これから劇場で古典の通し狂言をご覧になる方には、イヤホンガイドをおすすめします。
配信で観る方は、「高座が入ったら時間が飛ぶ」と頭の隅に置いておくと、迷わずに済むと思います。
⚠️ ここから先は、物語の結末に触れます。これから観る予定の方は、「まとめ」まで飛ばしてください。
一年が経っていた
源次郎とお国のその後は、決して華やかではありません。
源次郎は河原のかまぼこ小屋に流れ着き、そこで日を送っています。
あのとき、自分も平左衛門と一緒に死んでしまえばよかった——そう悔やみながら、恋人のお国が他の男の相手をしていることを嘆いている。
奪った金で楽をしているどころではありません。女に食べさせてもらっているのです。
そのお国は言います。それでも関口屋さんがお金を使ってくれるから、やっていけているのだ、と。
関口屋——それは、伴蔵とお峰の店の屋号です。
源次郎とお国を食べさせていたお金は、伴蔵から出ていました。幽霊から百両を受け取った男が、その金で、人を殺して逃げた女を買っている。二組は、こんなところでつながっていたのです。
さらに月日が流れます。
ある日、お国の働く店に来た女性が、お竹の妹だと偶然に分かります。かまぼこ小屋が近かったので、源次郎もそれを聞いてしまう。
あれから一年が経ったのか。
そして源次郎は悔やむのです。無駄な殺生をしてしまった、と。
ところがお国は、喜びます。あれがあったから源次郎と一緒になれたのだ、と。悪いというなら、あの世で好きなだけ謝ればいい——そう言って高笑いする。
背筋が冷えました。
幽霊が出てくる場面より、この笑い声のほうがずっと怖かったです。
怖いと分かっていて、それでも
源次郎は、お国を怖い女だと言っていました。
その一方で、わたしが怖いか優しいか確かめてごらん、というようなことを言われ、飲まれてしまう。
怖いと分かっていて、それでも離れられない。
やがて源次郎は、飯島平左衛門とお竹に連れて行かれます。自分たちが手にかけた、その二人に。お国も、同じように連れて行かれました。
飲まれたから、連れて行かれた。わたしにはそう見えました。
和解したふり
物語は、関口屋へ戻ります。
伴蔵がお国に入れあげていることに、お峰は気づいてしまいます。
嫉妬して取り乱したお峰は、大きな声で、言ってはいけないことまで次々に暴露しはじめる。ふたりだけにしまっておくべきことが、外へ聞こえる声で表に出ていくのです。
それを聞いている伴蔵の、表情が変わります。
そして伴蔵は、和解したふりをするのです。
ここで、ひとつの計画が立てられました。
この場面が、そのまま最後につながっていきます。
傘の話をしているようで、していない
仲直りをしたばかりの二人が、雨の上がったあとに、こんなやりとりをします。
伴蔵「雨がやむと、傘というのは邪魔なものだな」
お峰「それでもまだ雲行きが怪しいから、持ってお行きよ」
——傘の話をしているのですが、傘の話ではありませんね。
用が済んだら邪魔になるもの。それでもまだ手放せないもの。
この夫婦がいま互いをどう見ているかが、そのまま置かれています。
声を荒らげるわけでもない。天気の話をしているだけなのに、こんなに怖い。
歌舞伎のせりふは、こういうことをします。
雨の中の橋で
そして、また雨が降り出します。
橋の上で、伴蔵とお峰の立廻り。本物の雨に濡れながらの立廻りです。
そこへ、和太鼓が鳴り響きます。
お峰は伴蔵に殺され、川へ落とされます。
持ってお行きよ、と自分から持たせた傘。その下で、この人は死ぬのです。
けれど、終わりません。
川底から、お国が出てくるのです。
そして伴蔵も、引きずり込まれていきました。
百両のために札を剥がした男が、その百両でできた一年を経て、同じ水の中へ沈んでいく。
ただ、雨が降っているだけです。
それが、いちばん怖かった。
まとめ
怪談だから怖いのだろうと身構えて観はじめて、笑って、そして最後にぞくりとする。
そんな作品でした。
幽霊より人が怖い、とよく言われる演目です。頭では分かっていたつもりでしたが、今回は空気の変わり方として体で感じさせられたという感じでした。
歌舞伎座に行きたいなあと思いながら、なかなか行けずにいます。それでも配信のおかげで、こうしてゆっくり味わうことができました。
怖い話が苦手な方にも、意外と大丈夫ですよ、とお伝えしたいです。
次は劇場で。本物の雨の音を、あの空間で聞いてみたいと思っています。


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